高齢化が進む徳島県神山町。官民協働のDX推進プロジェクトで住民の暮らしを豊かに
2023年10月9日
持続可能な地域社会の実現に向けてまい進する挑戦者たちがいる。舞台は、徳島県神山町——。きっかけは、赤字が続く町営バスの存続問題だった。町は、町営バスに代わりタクシーを活用する新たな公共交通システム「まちのクルマLet’s」を構築。その際、「まちのクルマLet’s」の予約機能も搭載した住民向けアプリの開発に官民協働で乗り出し、住民向けサービスのDX化にアクセルを踏んだ。過疎・高齢化が進む中、果たしてタブレット端末を使ったアプリの利用は住民に受け入れられるのか。DX推進プロジェクトのメンバーである神山町役場、イツモスマイル、キヤノンビズアテンダ(以下、キヤノンBA)の関係者の皆さんに話を聞き、“挑戦”の実像に迫った。
お話を伺ったメンバー
- 神山町 総務課 企画調整係 課長補佐 杼谷 学さん
- 神山町 総務課 企画調整係 主事(現在は税務保険課) 平嶋 基曜さん
- イツモスマイル株式会社 代表取締役社長 大田 仁大さん
- イツモスマイル株式会社 取締役CTO 青木 孝之さん
- キヤノンビズアテンダ株式会社 BPOサービス第一本部 課長 吉越 周一郎
「町営バスの利用人数が年々減少し、年間2,000万円以上の赤字が続いていたのです。しかし、町営バスを廃止するという決定は簡単ではありませんでした」
神山町総務課の杼谷(とちたに)学さんはそう振り返る。
町営バスは「住民の足」として重要なインフラを担う。高齢になって運転免許を返納すれば、買い物や通院などの移動手段が必要になるため、誰もが利用できる公共交通は必須になる。過疎・高齢化が進む自治体が最初に直面する課題の一つは、公共交通機関の減少により住民の生活が不安定になることだ。
将来世代も「豊かな人生を送れる魅力的なまち」をつくる
神山町は徳島県東部に位置し、町域の約86%を森林が占める。人口は1950年の21,241人をピークに減り続け、現在は4,800人ほど。高齢化率は50%を超えており、今後も人口減少は続く見通しだ。典型的な過疎・高齢化の神山町は、2016年度から創生戦略「まちを将来世代につなぐプロジェクト」に取り組んでいる。「一人ひとりが豊かな人生を送れる魅力的なまち、神山町」を将来世代につなぐことがその目的だ。
「豊かな人生を送る」ために公共交通はどうあるべきか。神山町はこれまで、町営バスの運営を民間タクシー会社に委託してきた。大きな赤字を出すからといって町営バスを廃止すれば、タクシー会社の経営にも大打撃を与えかねない。住民の利便性が上がり、タクシー会社の経営も成立するような、総合的な地域支援が必要だった。
町は、熟慮を重ねた末にこう決めた。町営バスに代わりタクシーを活用した新たな公共交通システムをつくる——。そして、町のタクシー会社3社の車両を稼働させ、神山町民で事前登録した人は通常運賃の15%でタクシーに乗れるよう、残りの85%を町が助成する設計とし、バス並みの安い料金体系を実現させた。「まちのクルマLet’s」と名付けたこの新公共交通システムの構築に合わせ、住民向けDXサービスを促進できないか。杼谷さんは、そこまで考えていた。
「『まちのクルマLet’s』にはバス停という概念はなく、タクシーと同様に利用者の都合で任意の場所で乗車・降車ができます。この新システムの利用を促進するため、当初から予約アプリを開発しようという案はあったのですが、『交通系機能だけのアプリでは交通用途で必要のある人しか使わなくなってしまう』という懸念がありました。単独の課題を解決するのではなく、多くの価値を付け加えることで、より多くの人にアプリを利用してもらい、行政サービスの利便性向上などにつなげたいという構想がありました」
ナースコールアプリの応用で開発が加速化
構想の実現に向けて白羽の矢が立ったのが、主力である介護事業とシナジーを利かせたDX推進事業を展開するイツモスマイル(徳島市)とBPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)サービスを提供するキヤノンBA(東京・港区)だ。イツモスマイル代表取締役社長の大田仁大さんはこう説明する。
「イツモスマイルは介護事業を手掛けて20年経ちますが、高齢者だけの独居世帯の増加、医療機関の減少、サービス提供者の人材不足、高齢者の見守りなどの多くの課題を、デジタルを活用して解決できないかと考えていました。2017年に徳島のビジネスコンテストで賞をいただき、2019年にIT事業に本格的に参画しました」
イツモスマイルは、見守り用ビデオ通話型ナースコールアプリを開発して介護現場で導入しているが、本プロジェクトのプロジェクトマネジャー(PM)で同社取締役CTOの青木孝之さんはこんなことをひらめく。
「ナースコール用のビデオ通話機能をベースに、神山町のアプリを多機能化するのはどうか」
青木さんと10年来の仲でいくつもの仕事をともに手掛けてきたキヤノンBAの吉越周一郎は、「町のウェブサイトに掲載されているさまざまなサービスをアプリ上にまとめて便利に使えるようにしようというのが、神山町とイツモスマイルさんの趣旨でした」とその狙いを説く。
アプリ開発がスタートしたのは、2022年7月。コンセプトが固まって以降、開発は加速度的に進んでいった。
徹底したユーザー目線で、真に求められる機能に絞り込む
本プロジェクトでイツモスマイルは、 (1)アプリ開発、(2)実証実験、(3)役場や関係各所との調整など——を主に担った。一方、キヤノンBAは、(1) WBS(作業分解構造図)の作成、(2)プロジェクト管理支援、(3)パートナーとの窓口対応・交渉、(4)アプリ各機能の仕様策定やUI設計アドバイス——などを担当するとともに、DX化が進む自治体を視察する際には事前に情報収集したり現地に同行したりするなどし、神山町の目指すDX推進プランの策定を後方支援した。
神山町、イツモスマイル、キヤノンBAの3者は、真に求められるアプリをどう開発していったのか。「アプリやサービスの企画は徹底してユーザー(住民)目線で考えてきました」と神山町の杼谷さん。青木さんは「当初、役場の各セクションなどとブレーンストーミングを行い、40〜50ほどの機能を洗い出しました。そこから不要な機能を削ぎ落とし、本当に必要な機能を絞り込んでいったのです」と言う。こうした考えはデモアプリの検証にも生かされた。
アプリ開発を始めてから4カ月後、デモアプリが完成する。町の高齢者30人ほどに実際に使ってもらい、その様子を開発チームは見守ることにした。「90歳ぐらいのおじいちゃん、おばあちゃんがデモアプリを入れたタブレットに一生懸命触れているのを見ると、本当に必要な機能は何か、改善すべきことは何なのかが浮き彫りになり、開発チーム内での意識統一もできました」と青木さんは振り返る。
このユーザーテストで「想定していたよりも、操作に多くの難があることが分かった」(青木さん)のも事実。高齢者は指先に脂分が少ないためタブレットのタッチスクリーンが反応しにくかったり、「上下、左右にスクロールしてください」と言っても、その言葉の意味が伝わらなかったりする。タブレット操作は、高齢者にとってあまりなじみのない動きや言葉が多いのだ。
そこで開発チームは役場の職員などと相談し、タブレットを操作するときの言葉や表現の仕方を見直すことにした。「指を左から右に動かすのをどう表現するか」「タップは『押す』、『プッシュ』、『触る』のどれがいいか」などについて考え、A4サイズのマニュアルに分かりやすくまとめて配布し、理解と利用の促進を図っていった。
ワンストップで解決する住民相談窓口「さあ・くる神山ラボ」
こうした検討と改善を重ねて開発された地域アプリ「さあ・くる」には、タクシー予約、地域情報配信、ビデオ通話(2023年8月から)などの機能が搭載され、2023年3月に晴れてリリースとなった。その後すぐに「まちのクルマLet’s」の運行を開始した。
アプリのタクシー予約を利用するのは、若者が中心だ。例えば学生が徳島市へ出る際にこのアプリを利用することも多い。当初から高齢者はこれまで通り電話予約を利用すると予想していたため、新しい利用者をウェブ予約で獲得できたという点では狙い通りだった。
地域情報としては、天気予報、ゴミ出しの情報などが配信される。YouTubeで見られる神山町役場の公式チャンネル「かみやまch」は人気コンテンツだ。農作物の市況情報もよく閲覧されている。
地域アプリ「さあ・くる」のリリースに伴い、2023年3月には「さあ・くる神山ラボ」を立ち上げた。役割は、(1)地域アプリの利活用に関する問題をワンストップで解決する住民相談窓口(デジタルよろずや)、(2)映像コンテンツ企画・制作・配信、(3)高齢者のITリテラシーを向上させるためのIT講習会——の3つ。イツモスマイルが神山町から運営を委託され、ラボのために住民を新たに社員として雇用している。
自治体から配布されたタブレットは利用できるアプリが限定されることが少なくないが、神山町の考え方はユニークだ。「配布したタブレットには地域アプリ『さあ・くる』以外のアプリも、あえて使えるようにしてあります。例えば脳トレゲームなども入っていて、その使い方をラボで教えています。高齢者のITリテラシーを高めることが大きな目的ですから」(青木さん)
過疎・高齢化が進む中、DX推進により「豊かな人生が送れる」ことを目指す神山町。「実は役場内のDX化も進めています。窓口ごとに何度も書類を提出する必要がありましたが、それを改善する取り組みです。従来は40〜50分かかっていた手続きが5〜10分になる見込みで、住民の皆さまの利便性向上につながると考えています」
そう語るのは、神山町の平嶋基曜さん。新しいシステムの稼働は2024年を予定しているという。
カスタマイズ機能を生かし、他自治体への展開も視野
神山町の取り組みはまだ始まったばかり。今後も継続的にブラッシュアップしていく予定だが、これまでに得られた知見や経験は、キヤノンBA、イツモスマイルにとっても貴重な財産になっている。
キヤノンBAの吉越は言う。「地域アプリ『さあ・くる』はカスタマイズ機能があり、各自治体の課題に合わせてコンテンツを調整、外部連携をすることができます。自治体案件の豊富な経験を生かして他自治体への横展開に伴う企画支援や横展開した後の住民対応の窓口をキヤノンBAが支援していきます」
イツモスマイルの青木さんも「今後も住民向けITサービスをより良いものにし、他の地域の方にも使っていただけるようにしたい」と先を見据える。
両社とも高齢化率の高い神山町でDX化に取り組んだからこそ貴重な学びを得られている。それは「高齢者はデジタルを使いこなせないのではなく、使いたいものがないのでは」(青木さん)ということ。どんなデジタル技術が必要なのか、どんなコンテンツなら喜ばれるのか。それを理解し実現していけば、きっと「一人ひとりの豊かな人生」を応援していくことにつながっていくはずだ。