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「教育 DX」で年間約6万時間の効率化へ。郁文館夢学園が目指す「教育モデル改革」に向けた共創とは

2024年1月30日

「日本の教育モデルを変え、生徒一人ひとりに夢を持たせ、追わせ、叶えさせる教育と、それを支える教員が生き生きと働ける仕組みをつくりたい」そんな大きな志を持ち、「ICT活用」による教育分野のDXを進める挑戦者たちがいる。東京都文京区にある中高一貫校「郁文館夢学園」と、その取り組みを支えるキヤノン IT ソリューションズ(以下、キヤノン ITS)だ。

同校は2021年に「デジタルキャンパス化構想」を掲げ、DXを段階的に推進。まずは教職員の働き方改革から取り組み、スタートから2年あまりで教職員の業務効率を大きく改善させた。

教職員のITリテラシー不足などの“壁”により、DXがなかなか進まない学校も多いなか、なぜ同校では短期間で大きな成果を上げることができたのか。そして「デジタルキャンパス化構想」を今後どのように進めようと考えているのか。

プロジェクトを担う同校 人材開発室 室長 藤井 崇史さん、同室 主任 榊原 賞さん、そして、共創パートナーであるキヤノンITS 文教ソリューション営業本部の田口 進一郎の三人に話を聞き、その“挑戦”に迫った。

個々の生徒に寄り添う"夢教育"の実現に向け、働き方を改革

郁文館夢学園が掲げる「デジタルキャンパス化構想」は、「生徒一人ひとりの個性に合わせたオーダーメイドの夢教育」をより高いレベルで行うことを目指した、教育現場のDXだ。

同校は、校名にも象徴されるように「夢教育」を指導の柱に据えている。インプット重視で、誰もが同じものさしで測られる従来の教育ではなく、生徒の個々の“夢”に寄り添う教育を目指す。「なりたい25歳の自分」から逆算した「10000時間計画」を立て、意識した10000時間を行動することで、生徒それぞれの夢の実現を後押ししている。

しかし、多様な生徒一人ひとりに時間をかけて向き合うということは、教員の負荷増大も意味する。さまざまな夢の相談に乗るための幅広い教養や、生徒のやる気を引き出すコーチング力など、より良い指導を実現する能力が必要だ。教員自身、日々の勉強が欠かせない上、「教育のデジタル化」「グローバル人材の育成」など国が進める教育改革にも対応しなければならない。生徒に向き合いたい想いと山積みの業務の板挟みに、藤井さんは危機感を抱いたという。

郁文館夢学園 人材開発室 室長 藤井 崇史さん
郁文館夢学園 人材開発室 室長  藤井 崇史さん

「私自身、社会科の教員として教壇に立ち続けていましたが、業務に熱中するあまり以前は連日深夜帰宅という状況でした。『生徒に向き合う時間をもっとつくりたい』という想いと、一方で、『子どもたちのためとはいえ、これはサステナブルな働き方ではないな』という問題意識から、最新の技術の導入と活用による働き方改革によって軽減できる負荷があるのではと考えたのです」

そこで、理事長の渡邉美樹氏に提案したのが「デジタルキャンパス化構想」の始まりだった。しかし、いきなりDXを押し進めれば、現場が混乱しかねない。まずDXを現場に受け入れてもらうための土台づくりを行った。2020年に「人材開発室」を立ち上げ、「教職員の働きがいの最大化」をテーマに、郁文館夢学園の教職員が目指す働き方とはどのようなものか、それを実現するためにはどのような改革(DX)が必要なのかを検討したのだ。

「人材開発室で話し合い、教職員のやりがいとは、『理念との一体感』『成長実感』『仕事への充実感』であると再定義しました。そして『“働きがい日本一”の学校づくりを目指す』というビジョンのもと、改革をスタートしたのです」と藤井さんは語る。

郁文館夢学園 人材開発室 主任 榊原 賞さん
郁文館夢学園 人材開発室 主任 榊原 賞さん

人材開発室の立ち上げ時にメンバーとして参加したのが、同室の主任を務める榊原さんだ。主にネットワークや学内システムを担当し、ICT活用に関する教職員からの相談に乗ることでリテラシーの底上げを図った。

「やりとりを重ね、現場の教職員との信頼関係を築いていきました。なかには改革を不安に思う職員もいましたから、理解を得るために、地道にDXの必要性を説き、都度丁寧にフォローする必要がありました」(榊原さん)

こうして約1年の準備期間を経て、「デジタルキャンパス化構想」はスタートした。以下の4つのステップで段階的に進め、2029年度の完遂を目指している。

郁文館夢学園「デジタルキャンパス化構想」

教職員・生徒・保護者への価値提供を実現する、新たなシステムを開発

「デジタルキャンパス化構想」以前から、STEP1の「学習環境の構築」はスタートしていたが、ICT活用を進める中で、さまざまな課題も浮き彫りとなった。例えば、さまざまなシステムが混在するためにIDやパスワードの管理が煩雑となったり、入力・確認・管理などの事務作業に時間がかかったりなどだ。教職員がアプリやシステムの機能を使いきれない課題も判明し、現場の一部からは「余計に手間が増える」といった声が上がっていた。

そこで、STEP2では「教員の教える効率と働き方の効率を最大化」を掲げ、さらなる教育の質の向上と、表出した課題解決を進めることが求められた。

「まずは受け皿となる情報基盤を見直し、校内システムの入り口を集約したいと考えました。学内情報発信の窓口となるポータルを中心として、授業シーンで活用する『LMS(学習管理システム※)』、『出欠席システム』といった各種システムの連携を検討しました」(榊原さん)

その実現には、パートナーとしてDX推進を併走するベンダーが必要だった。
「複数社と話し合い、システムを総合的に開発している実績のあるベンダーさんにお願いしたいと考えました。最初に思い当たり、かつ私たちの目指す姿を一緒に実現しようという姿勢を強く見せてくれたのが、キヤノンITSさんでした」(榊原さん)

キヤノンITSは教育支援情報プラットフォーム「in Campusシリーズ」を提供している。「ポータル」や「LMS」、学生個人の学修成果を管理できる「ポートフォリオ」を中心に、主に大学教育の現場で必要とされる機能を備えたシステムだ。2021年には、システム導入型に加えてクラウドサービス型もリリース。キヤノンITSも、大学のみならず、小中学校・高等学校への展開を検討しているタイミングでもあった。

キヤノンITソリューションズ 文教ソリューション営業本部 田口 進一郎
キヤノンITソリューションズ 文教ソリューション営業本部 田口 進一郎

「『in Campus』はもともと、大学向けに開発してきたプラットフォームですので、ユーザーは『学生』と『教職員』という2つのカテゴリーを想定していました。しかし中学・高校の場合は、そこに『保護者』が加わります。保護者はやはり、自分の子どもの成績や出席状況、学習内容などを詳しく知りたい。保護者の方にも使いやすく、簡単に情報共有できるシステムにすることが、今回、郁文館夢学園さんとの取り組みにおける新たな試みでした」と、このプロジェクトを担当したキヤノンITS の田口は語る。

中学・高校での教育において保護者との連携はとても重要だが、DXが進む前は紙媒体や電話での連絡が中心で、そのやりとりが大きな負荷となっていた。

「実は、ポータルシステムの開発前に教職員にアンケートを行い、あらゆる業務の棚卸をしました。すると何十ページにもおよぶ業務一覧ができあがったのです」(榊原さん)

生徒と向き合うことが教職員の第一の仕事のはずなのに、実際は各種書類の作成や紙媒体の情報集計などに多くの時間が割かれていた。そうした本質的ではない業務負荷を減らすことが、教職員のため、生徒のため、保護者のためになる。この考えが要件定義に生かされた。

「中学・高校向けにシステム開発するのは初めてでしたから、郁文館夢学園さん側に学校業務の実態をつぶさに伺いながら、要件定義や開発を進めていきました。ベースは大学向けに開発してきた『in Campus』でしたが、中学・高校のニーズに対応した新たなシステムとなりました」と田口は話す。

完成したシステムは、すべての情報の入り口をポータルに統合し、データも集約した。教職員・生徒・保護者の三者ごとに利用できる機能やアプリケーションは異なるが、「出欠席管理」「生徒個人カルテ(ポートフォリオ)」だけでなく、「会計管理」「勤怠管理」「人事管理」といったバックオフィス業務のシステムにもアクセスできる仕様となった。

STEP2で実現した「デジタルキャンパス」の概要
郁文館夢学園「デジタルキャンパス化構想」

「生徒個人カルテ」は、生徒のすべての考査・模試のデータを蓄積させ、成績推移だけでなく面談記録を一覧表示できる。また大学検索や夢検索機能も搭載し、先輩や卒業生のデータを参考にしながら学習方針が立てられるようにした。

「こうしたデータ管理は、教育の質の担保につながります。例えば、面談記録については、これまで各教員の裁量に任せられていました。表計算ソフトに小まめに記録している教員もいれば、手書きのメモ程度で済ませる教員もいました。しかし『生徒個人カルテ』というフォーマットに統一したことで、全教員が質の高い記録を残せます。もしクラス担任が交代したとしても、過去の面談記録や学習履歴を引き継げるので、一貫性のある指導を継続できます」(榊原さん)

さらに「デジタル採点システム」も、教育の質の向上と業務負荷軽減に大きく貢献した。紙の答案用紙をOCR(光学的文字認識)によってデジタル化し、画面上で採点することで、点数の集計や記録が瞬時に完了。蓄積したテスト結果のデータを分析することで、その後の学習指導に役立てることができる。

そうした内容や授業の出欠状況などは、保護者もシステム上で確認することができる。また、連絡事項の確認、模試や講習、三者面談の申し込みや欠席連絡などもデジタル上で行えるようになった。生徒は一人一台配布されているタブレットで、保護者は自身のスマートフォンなどで利用するケースが多いという。

これらの取り組みの成果を試算すると、学校全体で年間約6万時間もの事務作業時間の削減につながる。

  • LMS:Learning Management System。eラーニングの配信や学習者の成績などを統合的に管理するシステムのこと

目指すゴールは、日本の教育モデルそのものを改革すること

郁文館夢学園「デジタルキャンパス化構想」

教育分野におけるDXは、まだまだ成功例が少ない。郁文館夢学園が「デジタルキャンパス化構想」を軌道に乗せることができたのは、DXが必要だという気運を学校全体でつくれたことだという。

「コロナ禍がデジタル化を後押ししたという側面もありますが、採用や研修などの人材開発業務を担う人材開発室がコントロールタワーとなって、人材戦略や学校改革と同時にプロジェクトを進められたことが、順調に推進できた一番の要因だと思います。

今は、新しいものを取り入れることに対して、先生たちが前向きです。システムを活用し、改善案を提案してくれる方も多く、学校全体でPDCAサイクルがうまく回っていると実感しています」(藤井さん)

こうした考え方の背景には、学内の改革だけでなく、日本の教育モデルそのものを変えたいという想いがあった。

「さまざまな教育現場を視察するなかで感じたのは、多くの教員が疲弊しているということ。なかには民間出身の優秀な人材をトップに据え、独自の働き方改革、教育改革に成功している学校もありましたが、そうした学校でも、トップが変わったりキーパーソンが抜けたりしたら、また旧態依然とした状態に戻ってしまうケースが多い。業務が属人化し、仕組みの構築までできていないのです」と藤井さんは話す。

郁文館夢学園 人材開発室 室長 藤井 崇史さん

学校教育の中心は、教員だ。教員が生き生きとやりがいを持って働くためには、サポート制度や給与制度など、学校運営全体のシステム化が必要であり、その仕組みをしっかり整え、PDCAサイクルを回し続ける体制までつくることで、初めて改革の永続性が保たれる。

「その観点から考えると、実は『デジタルキャンパス化構想』が目指しているのは単なるデジタル化ではなく、教育のあり方、学校のあり方そのものを根本から変えることなのです」(藤井さん)

今後、「夢教育」とAI・テクノロジーを組み合わせることができれば、日本の多くの学校にとっての教育モデルができる。子どもの夢と、その実現をサポートする教員を応援したいという想いで、藤井さんたちはこのプロジェクトに取り組む。


「デジタルキャンパス化構想」は、現在STEP2の第一段階が完了し、ポータルサイトをはじめとするシステムの基盤ができあがったところだ。2024年度は第二段階に入り、生徒個々のカルテやデータベースを充実させ、一人ひとりに合わせたオーダーメイドの教育の精度をさらに高めていく。

「キヤノンITSの方には、『こういう機能がほしい』など、これまで私たちの色々なわがままを伝え、それに応えていただいてきました。メンバーの方々は、私たちの想いに共感くださり、同じ目線で仕組みを考えてくれています。AIの導入など、2029年までに実現したいことはまだまだあり、さらに多くのわがままをお伝えすることになりそうです」

藤井さんの言葉に、田口も「先端技術などを取り入れながら、日本の学校教育をリードするような提案を行っていきたい」と意気込む。

日本の教育モデルの改革を目指し、挑戦は続いていく。