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新規事業開発に「失敗」はない
『ゼクシィ』生みの親に訊く、企業の挑戦がもたらすもの

2023年11月21日

日本の企業がイノベーションを創出するためには、どのような意識や姿勢で取り組めばよいのだろうか? 特に関係者が多くなりがちな大手企業の場合は? そんな、新規事業開発やイノベーションの創出にまつわる「気になる」を、(株)リクルートで結婚情報誌『ゼクシィ』の立ち上げなどを手掛け、現在は(株)アーレア 代表取締役を務める、渡瀬 ひろみ氏に訊いた。

訊き手は、キヤノンマーケティングジャパン(以下、キヤノンMJ)でイノベーション活動を推進する木暮 次郎が務める。

新規事業開発がうまくいかないのは、その本質を知らないから?

木暮:渡瀬さんは、アーレアの代表取締役として、大手企業向けの新規事業開発コンサルティングやスタートアップへの投資・育成といった事業を中心に手掛けていらっしゃるほか、事業改革や新規事業開発をミッションとする組織に特化して構想されたインキュベーションセンター「ARCH(アーチ)」のCIO(Chief Incubation Officer)など、さまざまな立場で活躍されています。また、キヤノンMJが2017年から取り組んでいる社内起業プログラム「Canon i Program」では、第1期から現在に至るまで最終審査の選考メンバーとしてご協力いただいています。

今回は、新規事業に携わる人が抱える悩みや課題、イノベーションが起こる企業風土などについて伺いたいと思います。まずは、渡瀬さんが新規事業開発に携わるようになったきっかけを教えてください。

渡瀬:私は30年ほど新規事業開発の仕事に取り組んでいます。ターニングポイントは、リクルートに所属していた頃に新規事業コンテストで提案し、落選しながらも事業化までけん引し、1993年に創刊された『ゼクシィ』です。「市場が小さいから絶対に儲からない」などと社内ではいわれていましたが、幾多もの壁を乗り越えてようやく事業化できたブライダル情報誌で、500億円規模の売り上げを出すリクルートの基幹事業にまで成長しました。

『ゼクシィ』の成功がきっかけで、1990年代後半からリクルートのさまざまな新規事業に携わるようになり、スタートアップとの共創にも取り組んできました。2010年に独立した後は、主に大手企業の新規事業開発支援を行っています。

(左)アーレア 渡瀬 ひろみ氏(右)キヤノンマーケティングジャパン オープンイノベーション推進室 木暮 次郎
株式会社アーレア 渡瀬 ひろみ氏

木暮:『ゼクシィ』では多くのことを経験し学ばれたと推察いたします。その中でも特に、新規事業開発において大切なことを教えてください。

渡瀬:私が新規事業開発に向き合う際の礎にもなっていますが、「時代は常に変わり続けている、そして、ビジネスの答えは常にマーケットの中にある」ということです。

カーシェアリングを例にとると、このサービスは20年前に事業化しようとしても難しかったはずです。スマートロックの技術が発明されたから、サービスが開発され普及しました。時代は常に流れていて、無理だといわれていた事業でも時代とともに実現の可能性をおびます。そして、その可能性、ニーズや答えはマーケットの中にあったといえます。

新規事業開発で手掛けるサービスは、マーケットを実際に見てニーズの解像度を上げ、水が高いところから低いところに流れるかのように顧客がこちらへやってくる自然な価値設計をすれば、ちゃんと儲かる事業にできるんです。ただし、それは一足飛びにはできません。ビジネスとして成立させるには時間がかかることも認識する必要があるでしょう。

もちろん、時間以外にもハードルがあります。先述のとおり、私は新規事業開発、主に大手企業の新規事業開発を支援していますので、大手企業ならではの困難さというものも見てきました。例えば、頭角を現したスタートアップが資金調達をすることはそれほど難しくないけれど、大手企業の新規事業開発部門が自社から大きな資金を引っ張ってくるのは大変ですよね。

  • スマートロック:スマートフォンなどのデバイスと専用アプリを使って、ドアの解錠や施錠を管理できるシステムのこと。

木暮:そうかもしれません。

渡瀬:私は、そのような困難を乗り越えるために必要なプログラムや仕掛けをご提供しています。例えば、ARCHの環境もその一つです。ある米国のインキュべーション施設を視察したときにインスパイアされたのですが、各企業が入る部屋が全部ガラス張りで、場合によっては投影されたプロジェクターやホワイトボードすらも見えます。従来の一般的な感覚だと「まずは秘密保持契約を締結してから」となりがちですが、真逆の発想です。情報を公開するから情報が入ってくるのです。秘密主義は新規事業には必要ないと思っています。

ARCHで議論されるのは、新規事業開発における価値設計であって、特許のような類のものではありません。ユーザーや業界の実態を踏まえ、どのような価値を提供するのかを議論しやすい環境であることを大事にしています。オープンな環境だからこそ、人と人が刺激を与え合うようになり、つながり、新しい事業の創出に大きな効果を生むのではないでしょうか。

木暮:入居する100社を超える企業の方々が、オープンスペースでリモート会議をしたり、全面ガラス張りの部屋でミーティングをしたりしていることは驚きでした。そのような、互いに影響を与え合うことを目指した環境にいると、業種や事業内容、企業文化などが異なるにもかかわらず、新規事業開発で重要なポイントを押さえた会話、いわば共通言語のようなものが生まれてくるんですよね。

渡瀬:共通言語は、ARCHで大切にしているものです。共通言語があれば、例えば、「今どこのフェーズですか?」「価値提供のフェーズです」「どういう価値が見つかったのですか?」といった深い会話がしやすくなるはずです。新しいアイデアや価値が生まれやすくなることはもちろん、マーケットやニーズなどの解像度を上げることにもつながるでしょう。

もう一つ、ARCHで大切にしているのが新規事業開発の風土醸成です。例えば、新規事業開発部門のコアメンバーがARCHで本質的なマインドセットやノウハウを身に付けたとしても、本社に帰ると「ビジネスモデルはどういうものなの?」「事業計画書を見せて」といわれてしまうことが多い。新規事業開発の肝は「想定するユーザーに対して、どんな価値をどう提供するか」です。そこを深めていく前から、ビジネスモデルやそれを前提にした事業計画書をつくり込んでも意味がありません。にもかかわらず、そのような質問をされてしまう現実と、新規事業開発の本質とのギャップに苦しむことになります。

出島でがんばるメンバーと社内の関連部署とのギャップを解消するために、私はARCHに入居していない新規事業関係人口向けの「出張ARCH」を実施しています。ときに1社100名以上の社内関係人口の方々向けに、ARCH入居者と同様のセミナーを開催しています。ARCHの風土や共通言語を企業内へ広くインプットすることで、新規事業開発の後押しをしています。

  • 新規事業関係人口:経営企画室やマーケティング部、人員配置の検討や人材の創造性を育む人事部、既存事業のアセットを活用する場合の該当事業部門など、新規事業を立ち上げる際に間接的に関わる他部署の人たち。新規事業開発を進める際、直接的に担当する新規事業開発部署以外の新規事業関係人口の理解が非常に重要となる。

ビジネスモデラーになってはいけない。「掘っ立て小屋」からスタートしよう

(左)株式会社アーレア 代表取締役 渡瀬 ひろみ氏 (右)キヤノンマーケティングジャパン オープンイノベーション推進室 木暮 次郎

木暮:渡瀬さんは新規事業開発やオープンイノベーションが日本で叫ばれる前から、その領域の最前線にずっと関わってこられました。この数年で変化などを感じることはありますか。

渡瀬:ひとことで言えば、新規事業開発の「ブーム到来」でしょうか。その背景には、世の中が大きく速く変化する中で、多くの企業が、既存事業の行き詰まり感から新たな一手を必要としていること、また、新規事業に取り組む社員がイノベーティブな思考スキルを得ることが、既存事業の競争力の維持や向上などにつながる効果が期待できること、などがあるでしょう。

そのため、いまや多くの企業が新規事業に取り組んでいますが、残念ながら価値設計をしないままビジネスモデル設計が先行する新規事業開発が多いという課題もあります。

例えば、他社がやっている新規事業を真似して参入しようとするケース。私が常々申し上げているのは、「事業の外側から見えるものは、事業の本来の価値の十分の一にも満たない。外側だけを真似しても絶対にうまくいかない」ということ。先述のとおり、新規事業開発の肝は「どんな価値をどう提供するか」です。決して外側だけを真似する「ビジネスモデラー」になってはいけません。

木暮:それは私も社内起業家を支援する中で、肝に銘じている点です。そのほかの課題にはどのようなものがあるのでしょうか。

渡瀬:大手企業に多いのですが、いきなり「ちゃんとしたもの」をつくろうとして失敗するケースがありますね。5億円ぐらいかけて大規模なシステムを開発したり、時間をかけて立派な5か年計画書をつくったり。

これは私の持論ですが、どんなに調査し尽くしたと思っても、ローンチ前にユーザーのことを100%理解することは不可能です。リリースして初めて、「もっとこうすればよかった」「ここは間違っていた」という改善点がどんどん見つかるはず。それなのに5億円かけて立派なシステムを完成させてしまうと、もはや気軽に増改築ができません。最初は掘っ立て小屋を建てるイメージで、小さくつくることが大切です。たとえ小さくとも、建てる前と建てた後では得られる情報の質と量が全く違いますから。

木暮:私たちも、新規事業の立ち上げ時は、いきなり大きく投資して完成させるのではなく、小さくスタートさせてからユーザーの声を聞いて、検証・改善を繰り返す進め方を徹底しています。通常のプロダクト開発のフローとは異なりますので、会社として求める品質や、それに伴うブランド棄損リスクについては正直悩ましい問題です。既存事業と同じような水準を新規事業に求めると、検証コストが一桁変わってしまうことも珍しくありません。

新規事業を立ち上げる力と、既存事業にイノベーションを起こす力の共通点

木暮:大手企業を支援されているお立場から見て、大手企業が新規事業開発に取り組むことの価値やポテンシャルをどのようにお考えでしょうか。

渡瀬:消費者の生活や業界・産業全体にインパクトをもたらすことができるのは大手企業の強みであり、そのためのポテンシャル、例えば、部署横断すれば必要な人材を社内で揃えることができる層の厚さや、全国を網羅する販売網などは十分あります。大きな社会課題を解決する新しい事業にぜひ挑戦していただきたいですね。

実際、私が新規事業開発を支援している中にも、高齢化や過疎、人間の健康にまつわる課題など、大きな社会課題に挑戦している企業があります。ただ、社会課題は一企業で解決するにはあまりにも大きいため、場合によっては、複数の企業や異業種によるオープンイノベーションも必要になってくるでしょう。

株式会社アーレア 渡瀬 ひろみ氏

木暮:そのような意識や姿勢は、新規事業のみならず既存事業においても大切なポイントになりますね。

渡瀬:おっしゃるとおりです。大手企業にとって新規事業の売上規模は既存事業に比べると米粒みたいに小さいことが多い。単純に売上規模を拡大するだけなら、M&Aで1,000億円規模の会社を買収した方が早いでしょう。

では、なぜ大手企業が新規事業をスクラッチで立ち上げる必要があるのでしょうか? それは、新規事業開発を通して創造的なスキルを身に付けた人材や組織が、本丸の事業のイノベーションにも貢献できる可能性があるからです。

冒頭で申し上げたように、世の中は変わり続けます。その変化やユーザーの動きを把握して次の打ち手を導き出さないと、既存事業も陳腐化してしまいます。ただし、既存事業という「動き続けている大きな船」の方向を変えるためには、ユーザーやマーケットを理解して、さらなる提供価値を見出す力はもちろん、それを説得力のある言葉で周りにプレゼンテーションする力、応援してくれる人を巻き込んでいく力が必要になります。つまり、そのスキルは新規事業を立ち上げる力と同じなのです。

社員の成長と挑戦する文化が、イノベーションを加速させる

木暮:立ち上げ当初は2〜3人しかいなかった私たちオープンイノベーション推進室も、新たな価値創造とイノベーション人材の育成を目指し、現在16名の組織へと着実に成長してきました。推進室に来る前と来てからでは別人のように成長したと評価されるメンバーがいたり、弊社社長の足立がよく話す“挑戦する組織風土”も醸成されたりしつつあります。

もちろん、事業化には至らなかったアイデアもたくさんありますが、メンバーの経験や成長は必ず今後の糧になると考えています。また、一度は挫折したけれど、発案者の熱量やアイデアが次のメンバーに継承されて、ブラッシュアップされ事業化に至ったケースもありますね。

株式会社アーレア 渡瀬 ひろみ氏

渡瀬:それはとても素晴らしいです。事業化に至らなかったケースを「失敗」と考えるのではなく「EXIT」、つまり出口と捉えて次につなげることが大切。私は多くの企業で新規事業コンテストを推進していますが、単純に新しい事業を起こすことだけがコンテストの価値なのではなく、そのスピリッツを社内に浸透させることにも大きな価値があると考えています。

コンテストを通して、「挑戦することは素晴らしいこと」という価値観が社内に広がっていく。発案された事業そのものは途中で終わるかもしれないけれど、その過程で育まれた「挑戦する文化」は次に継承され、イノベーションの源泉になり得ます。

同時に、新しい事業をジャッジするのは簡単なことではありませんから、役員の方々も審査員という立場を通じて、新規事業に対する理解を高めていくことができるはずです。

木暮:以前渡瀬さんに、それは「失敗」ではなく「EXIT」ですよね、と正されたことを思い出しました(笑)。

渡瀬さんのおっしゃるように、私たちのような組織にとって、波及効果を意識することは非常に重要な役割であり、キヤノンMJグループとしてのイノベーションエコシステムをつくることに改めて挑戦していきたいと感じました。

最後に、新規事業開発に取り組む方々に向けて、メッセージをお願いいたします。

渡瀬:新規事業開発は、次々と困難に直面する障害物競走のような仕事です。そして、どんなに頑張っても100%成功する保証はありません。ただ、100%約束できることが一つだけあります。それは、新規事業開発に挑戦した人の「成長」です。本気で取り組めば取り組むほど、知識やノウハウ、人間力などの成長を圧倒的なスピードで得られます。

新規事業は事業化に至らなかった経験をした人の方が次に成功する確率が上がります。新規事業開発に携われることをチャンスと捉えて、自分が成長するという気概でどんどん挑戦してほしいですね。


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