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10年あれば人は変われる。氷上から研究者へ、町田 樹を動かしたもの

2024年12月10日

切り拓くミライ

2014年にロシア・ソチで開催された「第22回オリンピック冬季競技大会(2014/ソチ)」では、団体戦および個人戦ともに総合5位。フィギュアスケートの選手として活躍した町田 樹さん。楽曲への深い造詣と、指先の動き一つ一つまで計算された繊細かつ表現力豊かな滑り、さらに、“自分の言葉”でインタビューに答えるその姿から「氷上の哲学者」と称され、スケートファンを魅了しました。

それから10年、町田さんは今、國學院大學人間開発学部で准教授を務めています。輝かしいアスリートの世界から学問の世界へ。今回、その転身の背景にあった不安や覚悟、決断についてお話を聞きました。

学問の道を志す背景にあった「自分にはスケートしかない」という気付き

町田さんが、フィギュアスケーターとして2014年のソチオリンピックに出場したのは23歳のときですね。オリンピックで入賞した直後の世界フィギュアスケート選手権(世界選手権)では銀メダルを獲得。翌年(2015年)の世界選手権への出場を辞退して現役を引退され、早稲田大学大学院に進学されました。

町田:3歳でスケートをはじめて24歳まで競技者として滑り続けていました。大学を休学し、2年ほど米国に拠点を移していた時期もありましたね。現役引退後は大学院に進み、研究の傍ら、アイスショーへの出演やプログラムの振り付けなども行っていました。博士課程に進む段階で、スケーターとしての活動にいったん区切りをつけました。

今は准教授として大学の教壇に立ちながら、主にフィギュアスケートを軸としたアーティスティックスポーツの美学的問題や、スポーツ全般が抱える社会学的問題などの研究に取り組んでいます。

  • フィギュアスケート、新体操、アーティスティックスイミングなど芸術的側面を持つスポーツのこと

アスリートとしてピークに見えた時期での引退表明と研究者への転身に、当時は驚きました。

町田:小学生の頃から毎日リンクで過ごし、周りもスケートに関係する人ばかりで。私自身、競技から引退したとしても、プロスケーターだったりコーチだったり、あるいは振付師といった立場でフィギュアスケートに携わるのだろうと漠然と考えていました。

長い間、フィギュアスケートは私のアイデンティティそのものでしたから、その世界から離れて学問の道へ進むことは大きな決断でした。

現役時代の町田さん/©︎坂本清

そのご決断には、どのようなきっかけがあったのでしょうか。

町田:大学に入ったら、まさに「Universe」で。スケートの世界しか知らない私がそれまで見ていた景色は、広い世界のごく一部だと知りました。多様な属性の人たちの中にポンと入ることで、自己相対化が図られた時期でしたね。

また、アスリートは「肉体や身体機能」が成績に大きく影響します。男子のフィギュアスケートの場合、肉体的なピークはせいぜい20代まででしょう。私も例外ではなく、近い将来、経験では補いきれないレベルにまで衰えるはず。仮に、引退後にスケート界に残るにしても、現役のうちに圧倒的な成果を残さなければ、生計を立てていくのは難しいと思いました。

大げさにいうなら、当時の私のアイデンティティを支えている肉体や身体機能は泥舟であり、自分には「スケート“が”ある」はずが、「スケート“しか”ない」に変わりはじめ、同時に「引退」の二文字が現実味を帯びてきました。

ご自身を長年支えてきた「フィギュアスケート」というアイデンティティを失うかもしれないという不安は、相当なものであったに違いありません。

町田:そうですね。一方で、アイデンティティを支えている舟が沈んでしまう前に、次の舟を見つけなければならないと考えました。そのための一歩を踏み出したのは、米国から大学に戻り、ある先生から「きみは研究者に向いているかも」と助言をいただいたときです。

確かに大学での学びは面白く、探究は楽しかった。それで、あらためて自身が身を置いてきた近代スポーツに目を向けると、あらゆる問題が山積しているわけです。

例えば、成熟社会における競技人口の減少、女性アスリートの三主徴と呼ばれる、エネルギー不足・無月経・骨粗しょう症の問題は、フィギュアスケートとも密接な関係にあります。これらはほんの一部で、スポーツの世界には、内側の人間にしか分からない、外からは見えにくい問題が存在します。一方で、内側にいるがゆえに、打つ手が見出せないといった側面もあります。

スポーツ界が抱える問題を、内側も知っている私が、外側からの学術的アプローチによって解決できるかもしれない。そこからフィギュアスケート、さらにはスポーツの発展に寄与できると考えたとき、研究者という仕事にがぜん興味が湧くようになりました。

アスリートである自分を捨てて手に入れた“複眼思考”

研究者の道のりも厳しいものだと推察します。

町田:自分の学問への想いとは全く逆に、万が一「オリンピアンが、知名度を使って学位を取りに来た」と思われては、今後の研究活動に支障をきたします。ですから、研究者になろうと本気で決めて競技を退いてからの数年間は、メディアへの露出はゼロにしました。学問の道で生きていく覚悟を示すうえでも、フィギュアスケーター・町田 樹は自分の手で殺す必要がありました。

それに実際のところ、メディアに出る余裕なんて全くありませんでしたよ。文献を読みあさり、有識者に話を聞きに行き、とことん調べて考え抜く毎日で。ただ、振り返れば、濃厚な充実した時期だったと思います。

時勢的に「根性論」は敬遠されがちですが、人生の分岐路などの重要な局面や、成否を分けるようなスレスレの場面では、やっぱり気持ちが勝負を分けると思います。スポーツでも学問でも、もちろんどんな仕事でも、そこで成功しようと思えば合理性や要領だけを求めるのではなく、必死でどこまでも食らいついていくような根性が大切になってくるはずです。

その時期を経て、ご自身の中で特に変わったと感じることはありましたか。

町田:社会を見るための、いろいろなレンズが手に入ったと思います。“複眼思考”とも言えます。一つの物事を多面的な視点から捉え、異なる角度や観点から分析・判断する思考ができるようになりました。より包括的でバランスの取れた結論や解決策を導き出すためには、この複眼思考が欠かせません。

埋もれていた価値を見出せたり、当たり前だと思っていたことが実は大きな問題だったと気付いたりと。学問の世界に限らず、多くの皆さんが活躍するビジネスの世界でも大切なことではないでしょうか。

複眼思考は、シンプルですが重要なことですね。具体的にはどのような場面で役立ったのでしょうか。

町田:例えば、私の研究に「フィギュアスケートのプログラムには、著作権が認められるのか」というものがあります。

前提として「スポーツは著作物ではない」という法律上の通念がありました。しかし、芸術的側面を持つアーティスティックスポーツでは、音楽に合わせて振りをつけます。スポーツとはいえ、「バレエや日本舞踊などと同じように著作権が認められるのでは?」と仮説が立ったのです。

この仮説に対して、さまざまな角度や観点から研究を重ねました。また、研究では、先行研究の読み込みが欠かせません。イノベーティブな発見は、研究者たちが培ってきた知見の層の上に起こるものです。まさに「巨人の肩の上に立つ」という、学術界の格言のとおりで、専門の先生方との議論や、論文などを通じた先人たちとの対話を重ねることで、私自身も研究の成果を生み出せます。

私も、その仮説を法学的な観点も交えて考察できるようになるまでに2〜3年ほどの時間を要しました。そして、多面的に考察ができるようになったからこそ、フィギュアスケートの振り付けは著作物に足り得ると考えています。

その研究論文は、2020年に一般社団法人 日本知財学会の「日本知財学会誌 優秀論文賞」を受賞※1されたと伺っています。

町田:論文が認められたことは、もちろんうれしいことですが、それ以上に、研究者へ転身するきっかけにもなった「スポーツ界が抱える問題を、外側からの学術的アプローチによって解決する」という目標に、少しでも近づくことができたことがうれしかったですね。フィギュアスケートのプログラムが著作物とみなされることは、フィギュアスケート界にも大きなベネフィットをもたらすはずですから。

スポーツ界が抱える問題の解決は、よりよい社会をつくる道すじとなる

今後、研究者としての町田さんは、スポーツとどのように向き合おうと考えていますか。

町田:法学や社会学の側面からスポーツを研究しているものとしては、昨年(2023年)からはじめている「エチュードプロジェクト」があります。クリエイティブ・コモンズ・ライセンスという著作権を管理するための新たな制度を使って、一定の条件を満たせば、誰でも無許諾で振り付けを使用できる作品を公開しています。作品は、私も所属するクリエーティブチームと共に制作し、YouTube上で見ることができます。

さらに、芸術や文学の分野へも研究の幅を広げ、最近では、舞踊のジャンル越境についても論文を発表しました。また、フィギュアスケートにはバレエの要素が多分に含まれていますが、逆にスケートの要素をバレエに移植させるとどうなるのか。その視点を持って、今年(2024年)の4月※2に 、バレエダンサーの上野 水香さんと、私も稽古をつけていただいている高岸 直樹先生と共にバレエ公演に挑みました。

これらの取り組みは、研究であると同時に、社会との貴重な接続機会と捉えています。研究者としての町田 樹は、論文を書いて終わりではなく、社会接続までがワンセット。“論の実践化”によって新たな疑問が生まれ、学術研究によってその疑問を解き明かす。このループが重要だと思っています。

興味深い試みですね。なぜ社会との接続機会が重要になるのでしょうか

〈上野の森バレエホリデイ 2024〉特別企画「Pas de Trois」より/撮影:松橋晶子/提供:(公益財団法人)日本舞台芸術振興会

町田:当然、スポーツの世界と一般的な社会はつながっています。スポーツ界で生じる問題は、時間差で、一般社会でも顕在化することが少なくありません。

トランスジェンダーにまつわる議論が分かりやすい例でしょう。経済やナショナリズムとスポーツの関係についてもいろいろな意見があります。また、競技スポーツにおいて、進化を続けるAIやビッグデータの活用はどこまでが望ましい姿なのでしょうか。さらに、ポストヒューマニズムのあり方も、今後考えていくべきテーマになると思います。

つまり、私たち研究者がスポーツ界での問題解決の手がかりをつかむことができれば、その成果を一般社会にもおし広げることができる可能性があるのです。

そう考えると、今の私の仕事は、私自身の意識と気持ち次第で、未来に向けて航行し続ける舟になれるのではないでしょうか。これからも巨人の肩の上に立ち、さらに、後進が自分の上に立つこともできるよう、生涯をかけて真摯に学問の道を歩んでいきたいですね。

輝かしいキャリアの裏にある、町田さんの葛藤や思いを伺うことができました。このインタビューを読んだ読者にとって、自らの道を切り拓いていくヒントになると思います。本日はありがとうございました。