「一人ひとり、考え方が違うのは当たり前」
サステナビリティ推進部 部長がパーパス制定に込めた想いと、その道のりとは?
2024年6月5日
どのように社会に貢献し、どのような未来をつくっていきたいか——企業の「志」をパーパスとして明文化するまでの道のりは、企業によってさまざまだ。
キヤノンマーケティングジャパン(以下、キヤノンMJ)グループは、「想いと技術をつなぎ、想像を超える未来を切り拓く」というパーパスを2024年1月に公表した。その制定までには、自社が持つ歴史や強み、経営層や社員のさまざまな想いなどを洗い出し、すり合わせ、一つの言葉に磨き上げる過程を経た。その推進を中心となって担ったのが、企画本部サステナビリティ推進部 部長 髙野 久美子だ。
さまざまな立場の人が持つ多様な意見を、自社の「志」として一つにまとめ上げるには、地道な傾聴や対話を重ねる必要がある。それは時に難しさを伴うが、髙野はどのような想いでパーパス制定に向けて準備を進めたのか。髙野のこれまでの歩みとともに、情熱の源泉に迫る。
“違うのが当たり前”という環境で育った価値観
「“想いと技術をつなぎ、想像を超える未来を切り拓く”。経営層や社員との議論を何度も重ね、キヤノンMJグループらしさがよく表現されたパーパスができたと感じています」と話す髙野。取締役会傘下にあるサステナビリティ推進委員会の事務局を務め、パーパス制定のプロジェクトを牽引(けんいん)した中心人物だ。そんな髙野のパーパスに対する想いや制定までの働きを紐解いていきたいが、まずは、そこに影響を与えた髙野のこれまでを遡ってみたい。
実は、2022年1月にサステナビリティ推進部 部長への異動辞令があるまで、髙野は新卒入社から25年近くにわたって、国際調達部門でキャリアを重ねてきた。
国際調達部門は、海外の優れた製品やソリューションの仕入・輸出入・契約締結支援などの業務を担う。およそ20カ国から半導体関連装置やソフトウエアなど、幅広い商材を仕入れている。出社直後は、日が沈み始めたアメリカ西海岸の各社とやりとりをして、日中は時差の小さいアジア圏の会社と交渉。夕方になったら、始業時間を迎えたヨーロッパと連絡をとるというように、一日中、世界を相手に交渉を行う。この仕事は髙野が入社する際に、強く志望したものだったという。
「新卒時にキヤノンMJ(当時、キヤノン販売)を選んだ理由は、大きく三つありました。一つ目は、OG・OB訪問をした際に一緒に働きたいと思った先輩社員が多かったこと。二つ目は、当時一般職と総合職の採用枠が分かれている企業が多かった中、当社は分かれておらず、入社後のキャリアパスを描きやすかったこと。そして最後に三つ目、これが一番大きな理由ですが、当時は国際調達部門の採用枠があり、そこで自分の語学力を生かしながら日本と海外の架け橋となるような仕事ができるのではと思ったからです」
髙野は帰国子女。父の仕事の都合で4歳のときに日本を離れ、アメリカで小学校高学年までを過ごした。物心つく前だったこともあり、新しい環境にはすんなり馴染めたという。
「現地の学校では、生徒は皆、髪の毛の色も肌の色も違うし、家庭環境もさまざま。みんな違うのが当たり前でした。逆に日本に帰ってきて、みんな同じ髪の色をしていることにビックリしたのを覚えています」
“違うのが当たり前”という多様性の中で育ち、“日本を外から見る”経験をしたことは、髙野の価値観の大きな土台になっている。
「信頼関係」があれば、たいていのことは乗り越えられる
髙野は「交渉は自分を成長させてくれるもの」と言う。
「文化も言語も商習慣も違う相手とやりとりしているとき、ふと『信頼関係を築けたな』と感じる瞬間があって。国際調達部門では、そこにやりがいを感じていました」
例えば日本企業同士だと、納期厳守は一般的に“当たり前のこと”と捉えられているが、海外企業とのやりとりでは、その“当たり前”が通用しない。発注しても納期を伝えてくれないことが多く、何度も問い合わせて、やっと聞き出しても納品日は守られない。連絡もすぐにつかなくなる。やっと納品されたと思ったら欠品や品質不良が発覚する。そして品質に対する考え方も異なる。そんな“ギャップ”だらけの毎日を、髙野は辛いというより「面白がるしかない」と捉えていたという。
「強く記憶に残っているのが、とあるアメリカの企業とのやりとり。何度もトラブルが続き、メールや電話ではらちが明かず、現地に出向いたことがありました。直接会って話をし、ようやく落としどころが見え一安心して帰国した後、送られてきた議事録を見たら、大部分が相手に有利な内容に変わっていて(笑)。結局またメールや電話で交渉を重ね、なんとか双方が納得いく条件で合意しましたが、かなり苦労しました」
この強烈な経験があってからは、それまで以上に誰とでも信頼関係を築くことを心がけてきた、と髙野は話す。
「習慣や文化、言語が違っても丁寧に対話し、相手の考えをできる限り引き出して聞き、こちらの考えを率直に伝える。その繰り返しが信頼関係を育てると感じています。仕事では、それが最も大切。社内でも、部下であれ上司であれ、信頼関係があれば言いたいことを言い合えるし、困難なことがあっても一緒に乗り越えられると思っています」
さまざまな想いをつなぎ、「未来のステークホルダーにも響く」パーパスに
2022年1月に、サステナビリティ推進部 部長となった髙野。やりがいを感じていた国際調達部門を離れての新たな挑戦だったが、髙野自身はこの異動を前向きに捉えていたという。
サステナビリティ推進部には、大きく二つの役割がある。一つはIR。株主や投資家に対して投資判断に必要な情報を提供し、対話により外部からの知見を取り入れる企業価値向上活動だ。海外の投資家との対話には、髙野がそれまで国際調達部門で培った経験が大いに生かせる。
そして、もう一つは、ESG※を考慮したキヤノンMJグループのサステナビリティ経営の推進だ。その一環としてサステナビリティ推進委員会の運営も含まれ、パーパス制定は同委員会の活動を通じて2021年より検討が始まっていた。
「実は異動を知る前にパーパスに関連した本を読む機会があり、『キヤノンMJにもパーパスがあればいいな』とおぼろげながら考えていたのです。もともと環境保全とビジネスのつながりに関心があり、海外を中心に、環境や社会課題に対する関心が高まっていることを感じていました。その解決にはさまざまなステークホルダーと手を取り合う必要があるため、志となるようなパーパスがあればいいと考えたのです。まさか自分がパーパスを作る立場になるとは思っていませんでしたが、異動はとても良いチャンスだと感じました」
髙野は異動して間もなく、2022年初旬に開催されたサステナビリティ推進委員会から、事務局の一員としてパーパスの制定に携わることとなった。まずは「キヤノンMJグループとは何者か」「どのような社会をつくりたいか」を整理するために、キヤノンMJグループの過去・現在・未来の要素を洗い出し、方向性を絞る検討が行われた。髙野は、社史や経営計画などから主要な項目を、また未来にかけて予測される社会環境の変化などを整理してまとめるとともに、叩き台となるパーパスの仮案を作成。参加者と議論し、パーパスの方向性を少しずつ絞り込んでいった。
その後絞り込んだ方向性をもとに、具体的なパーパスの文言を検討。次世代を担う若手の選抜社員との話し合いの場も設け、現場の意見を取り入れていった。最終的には100以上のパーパス案を作成。その後、数案まで絞り込み、2022年末の委員会でパーパスが決定した。
パーパス決定までの間、髙野は、一人ひとりのさまざまな考えや想いを引き出し、傾聴し、それぞれの想いを理解しようと積極的に動いたという。
「パーパスには何か正解があるわけではないですし、同じ役員という立場であっても、一人ひとりの考えはさまざまです。最終的に一つの言葉にまとめ上げていくことには、難しさがありました。ただ、事務局として大切にしていたのは『未来のステークホルダーにも響くもの』であること。まだ生まれていない未来のお客さまや社員を含めたステークホルダーの皆さまにも共感いただけるパーパスにすることは、常に意識していました」
考えが違っても、相手の意見をしっかりと聞き出し、また自分の意見もはっきりと伝えていくこと。そして、接点を見つけてコミュニケーションを重ねていくこと。髙野のこれまでの生き方や経験は、パーパス制定のプロセスにおいても生かされた。
「社内では日々さまざまな話し合いをしていますが、なかなか深い価値観をぶつけ合ったり、一人ひとりの哲学に近い言葉を聞いたりする機会は多くありません。パーパスを考えることは、私にとって、先人の想いに触れ、経営陣や社員と深い考えを交換することができる貴重な機会になりました」
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ESG:Environment(環境)、Social(社会)、Governance(ガバナンス(企業統治))を指す
パーパスは、困難にぶつかったときに目線を上げてくれるもの
髙野には、かねて抱く目標がある。それは「グローバル社会における日本企業の存在感を高め、日本の復活に少しでも多く貢献すること」だ。幼少の頃より日本を外から捉え、国際調達部門では海外取引先の立場から見た日本企業を感じてきた経験が、この想いを強くさせている。
「業務を通じて多様なステークホルダーの皆さまと対話を重ね、そこからいただくフィードバックを糧に、社会への提供価値を高め、企業価値向上につなげていく。それが自分にとってのパーパスの体現だと考えています」
髙野が対話する投資家の方々は、率直な意見をどんどん寄せてくれるという。
「『キヤノンMJは、ここを改善した方がいい』など、ズバッと意見を言ってくださいます。それはとてもありがたいことですし、本音で語り合えることは楽しいです。耳の痛いご意見ほど、自社や自分のためになります」
厳しい意見は、問題点に対する指摘であって、自分自身の人格が否定されるものではない。和を大切にする文化が根付く日本では、そこが誤解されやすい向きもある。しかし“違うのが当たり前”という多様性の中で価値観を培ってきた髙野は、率直に意見を交わし、お互いを深く知り合って「信頼」を築き、そこからより良い一歩を見つけ出すことが何より大切だと感じている。
「もちろん、壁にぶつかって立ち止まってしまうこともあります。ちょうど週末にかけて、仕事でモヤモヤしていたところでした(笑)。珍しくモヤモヤが何日にもかけて晴れなかったのですが、今回(この記事の取材で)お話しすることもあり、これまで自分のやってきたことや未来につなげていきたいことを振り返ってみたら、また前を向くことができたんです。困難にぶつかったとき、人は近視眼的になり、視野が狭まるものです。そんなときにパーパスを意識することが、自分の状況を客観的に捉え、目線を将来に向けることにつながるんだと腹落ちしたできごとでした。自分の歩む道を照らしてくれるもの、それがパーパスだと感じています」
「想いと技術をつなぎ、想像を超える未来を切り拓く」——多様な想いと技術をつなぐには、「信頼」が欠かせない。一つひとつの対話を大切にする髙野の姿勢は、パーパスの体現につながっていくに違いない。