「生きている」って、そもそもどういうことですか? 福岡伸一さんに聞く、より良い未来を生きる知恵
2024年11月11日
私たちは“生きている”。当たり前のことなのに、「“生きている”とはどういうことか説明して」と言われたら、あなたはすぐに答えられるでしょうか?
これは、人類の長い歴史の中で多くの人が抱いてきた疑問だと、生物学者・作家の福岡 伸一さんは語ります。福岡さんが、その答えとしてたどり着いたのが、「動的平衡」という捉え方。その提唱は、社会でも大きな話題となりました。
AIの知能が人間を超えると言われる現在、「生きていること」を改めて問い直すことは、これからの未来をより良いものにするための糸口になるかもしれません。「“生きている”とは、どういうことか」福岡さんに、そのお考えを詳しく伺いました。
一年前の私と今日の私は、 “別人”といえるほど変化している
― 本題に入る前に、そもそも福岡さんが「生命」を研究するようになったきっかけについて、教えていただけますか。
私の原体験は少年時代までさかのぼります。当時、私は内向的な少年で、人と目を合わせるのも苦手で、地面や草木をよく眺めていたんです。そのうちに虫のことが好きになり、昆虫観察や飼育を楽しむようになりました。中でも一番好きだったのがチョウで、知れば知るほど生命の不思議に魅了されていきました。
チョウは卵から生まれて幼虫になり、脱皮を繰り返して大きな芋虫へと育っていき、サナギになって、最終的に成虫の姿に変身します。地球のことを知らない宇宙人だったら、きっと幼虫と成虫が同じ生き物だとは思わないほどの劇的な変化ですよね。しかも、サナギの中身はどろどろの黒い液体で、芋虫だったときの面影は全くありません。あの美しいチョウの姿になる前にとてつもない破壊が起きているという事実に、私は非常に大きな衝撃と感動を覚えました。その頃から、生命や自然のことをもっと知りたいと思うようになったのです。
私は生命や自然のあり方を「動的平衡」という概念で捉えているのですが、少年時代にチョウから教わった生命の神秘が、その原点であるといえます。まさにチョウのように、自らをあえて壊しながら新しいものを作り、命をつないでいく。それこそが生命の特徴であり、「“生きている”とは何か」という問いに対する答えであると考えています。
― その「動的平衡」について、詳しく教えてください。
難しい言葉に思えますけれども、「動的」とは絶え間なく動き続けている状態、「平衡」とはバランスが保たれている状態を指します。すなわち動的平衡とは、部分的には活発に変化しながら、全体として恒常性が保たれていることを意味します。
爪が伸びたり、髪の毛が生え変わったりするように、われわれの身体を作っている細胞やたんぱく質は、絶えず壊されてどんどん捨てられるとともに、新たに作られています。臓器や脳、骨など、目に見えないところも同じです。
「私」であることは変わらないはずなのに、全身のあらゆる細胞は常に入れ替わっている。昨日と今日でも変化しているし、一年たてば、別人といっても過言ではないほど、ほとんど入れ替わっているのです。よく、久しぶりにお会いした人に「全然お変わりありませんね」なんて言いますが、生物学的には“お変わり”まくっている(笑)。このように、絶えず変化しながらもバランスが保たれている状態が、動的平衡なのです。
生物は、「壊れる前にわざと壊す」ことで生命をつないでいる
― 同じ自分なのに細胞はすべて入れ替わっているなんて、面白いですね。なぜ、生命は動的平衡というあり方になるのでしょうか。
生きるということは、生命を存続させること。しかし大前提として、この宇宙に存在するすべてのものは、そのまま永遠に存続することはできません。
少し難しい話になりますが、宇宙には「エントロピー増大の法則」と呼ばれる大原則があります。エントロピーとは「乱雑さ」のこと。乱雑さは時間とともに増大する、つまり「秩序あるものは、必ず無秩序になっていく」ことを意味しています。
例えば、頑丈に作られた建物でも、メンテナンスをしないと次第に劣化し、やがては崩れてしまいます。整理整頓した部屋も、時間が経過すれば散らかり、自然に整った状態へ戻ることはありません。生命現象も同様に、秩序高く機能している状態から、酸化や老廃物の蓄積などにより機能の秩序を失う方向へと進んでいきます。放っておけば、エントロピー増大の法則に負けて機能を停止してしまうはずです。
でも、構造物や機械などの無生物とは違い、生物は特別なメンテナンスをしなくても基本的に寿命までは生きていけます。なぜでしょうか。
それは、生物が動的平衡を保つことによって、エントロピー増大の法則と絶えず戦い続け、より長く存続しようとしているからです。法則が生命現象を壊すより先に、わざと自らの一部を壊し、新たなバランスで作り直すことによって崩壊を免れている。「古くなって壊れたから新しいものに入れ替える」のではなく、「まだ新しくても先回りして壊し、新しく作っている」のですね。
― 福岡さんは、そうした動的平衡という生命のあり方に、どのようにして気づいたのですか?
私が生物学者を志して大学に進学した当時は、「分子生物学」が世界的なトレンドで、生命を分子や遺伝子といったミクロなレベルで解明していく機械論的なアプローチが注目されていました。私もその波に乗って分子生物学の世界にどっぷり浸かって研究を突き進め、その素晴らしさを実感していたのですが、やがて限界も感じるようになりました。
特に大きな転機となったのが、ノックアウトマウス※での実験です。私はGP2という遺伝子を発見し、その機能を調べるためにDNAからGP2遺伝子を取り出したノックアウトマウスで実験を行いました。コンピューターの基盤から部品を一つ抜いたら壊れるのと同じように、GP2遺伝子を抜いたノックアウトマウスの変化を確かめることで、GP2の機能を明らかにしようとしたのです。約3年間、高級外車が3台ぐらい買えるほどの研究費を注ぎ込み、寝食を忘れて研究に没頭しました。しかし、マウスには何の異常も現れなかった。極めて健康で寿命も変わらず、生殖能力もある。生まれてきた子どもにも異常は見つかりませんでした。
3年も費やしたのに全く成果が出ない。私は研究者として大きな挫折を味わいました。しかしあるとき、生命に対する根本的な考え方が間違っていることに気づいたんです。私は、生命を機械の部品の集合体のように捉え、部品を失ったら壊れるはずだと考えていました。でも、部品がなければないなりに、変化に順応してバランスを保つことができることこそが、生命の本質であり、その柔軟性やレジリエンス(回復力)にこそ注目すべきではないか。そのように自分の生命観を捉え直して研究を進めた結果、動的平衡というあり方にたどり着いたのです。
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※
ノックアウトマウス…遺伝子操作により一つ以上の遺伝子を欠損(無効化)させたマウスのこと
生命の基本は、「利他的」な共生関係にある
― 先ほど、一年もたてば細胞がすべて入れ替わっているというお話がありました。すべて変わってしまうのに、なぜ自分でいられるのでしょうか。
生命は基本的に中央集権型ではなくフラットな分散型のシステムになっており、あまたの細胞は、ジグソーパズルのピースのように緩やかに支え合いながら存在しています。脳がすべての指令を出していると思われがちですが、脳は感覚器官から得られた情報を適切に変換して末端に知らせる、“電話局”のような役割を果たしているに過ぎません。一つの細胞が動的平衡によって失われたとしても、まわりの細胞が場所や形を記憶しているので、新しい細胞もそこにはまることができるのです。ピースが変わっても、パズル全体の絵は変わらないということですね。
こうした支え合う関係を相補性といいますが、これは地球上の生命全体にも当てはまります。
動的平衡であるために、生物は絶えず他の生物から栄養を摂取し、動的平衡の材料として身体の中に取り入れています。そして、壊して分解したものを排せつして、他の生物に動的平衡の材料として渡しています。食べる存在と食べられる存在は、支配と被支配の関係に思われがちですが、実は命を支え合う共生関係にあるのです。食べる方は食べ過ぎると自分たちが存続できなくなるので、ある一定量しか食べられないことでバランスが保たれます。
動的平衡は、個体としてエントロピー増大の法則にあらがう仕組みであるとともに、生物同士でも、個を超えて共生し、バトンタッチしながら生命を存続させていくための仕組みでもあるんです。生命は常に他の生物のことを考えながら動的平衡をしているので、「利他的」であることが生命の基本だと言い換えることもできます。
― 生命の基本が「利他的」であるという考え方には、さまざまな持続可能性が問われる現代において、学ぶことが多そうです。
誤解が多いのですが、利他性とは「自分を犠牲にして他者のために尽くさなければいけない」ということではありません。過剰に持っている者が足りない者に渡すという行為が、本来の利他性のあり方です。食料を一度にたくさん抱えこみ食べきれず無駄にしてしまうなら、余剰を他者に分け与えた方が全体の生態系の循環が良くなり、個にとっても全体にとっても良い結果となりますよね。
ただ人間は、そうした余剰を、お金や資産などためられるものに変換できる知恵を身につけてしまいました。利他性を見失い、化石燃料をばんばん使ったり、森林を切り開いて開発したりと、自然環境を人間自身の利己的な欲望のために使っています。
これをもう少し反省しなければいけないというのが、SDGsなどで問われている課題だと思います。利己的な生命観から利他的な生命観に回帰する必要がある、ということが動的平衡から導かれる学びではないでしょうか。
― 最後に、福岡さんが今後チャレンジしたい取り組みがあれば教えてください。
2025年開催予定の大阪・関西万博に向けて、パビリオンの一つである「いのち動的平衡館」をプロデュースしています。この展示では「私たちがどこから来たのか」という問いかけから始まり、生命の調和を体感するコンテンツを通じて「生命とはなにか?」を考えていただくきっかけを作ることを目指しています。
先ほど申し上げたように、利他的な共生のあり方こそが生命の基本。私たち人間も生命の一員として利他性を取り戻すことが、人類が取り組む、SDGsをはじめとした活動の根底を支える哲学になると思います。それを、さまざまな形で伝えていきたいですね。
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